とにかく、泣き虫でした。そして、怖がりでした。
それは、いまでも、変わらないのですが。(笑)
友達と、アスレチックに行っても、いつも、参加できず…
小学校1年生のプールの時間でも、顔を水につけるのがやっとで、最初の試験である、水の底にある碁石を拾う試験さえもできない始末…
とにかく、怖がりでした。
鉄棒も、ジャングルジムも、全部だめ…
おまけに、勉強もまったくもってだめ…
まず、覚えることも、できないんです。
なんで、「宗君は、何にも出来ないの?」と女の子に、馬鹿にされることも。(笑)
でも、当の本人は、できないことに、何の違和感ももたず、「なんで、できなければダメなの?」と、それさえも、理解できない子供でした。
でも、だからといって、学校嫌いなわけでもなく、学校大好き大好き小学生!
ただただ、遊びに行っているだけの毎日でした。
そんな楽しい学校生活が、毎日終わって、家に帰っても、実は、家には、誰もいません。
そう、僕は、世の中で言う、「カギっ子」
小学校1年生の時から、家で、一人で、親の帰りを待つ、「カギっ子」でした。
両親は、八王子の中心市街地で、自営業。
父は、365日、仕事をしている人でした。
夜も遅く、一緒にご飯を食べれることなんて、年に数回でした。
そんな父とたまに?偶然?会えるのですが、その時は、ただただ、面白くて、楽しくて、僕を笑わせてくれる存在でした。
やがて、僕は、家にいても、つまらないし、やっぱり、危ない?ので、小学校から、父の会社まで、バスに乗り、電車にのり、自宅ではなく、会社に帰宅する毎日が始まりました!
小学校1年生の僕にとっては、もう、冒険。
いろいろな、大人たちに紛れながら、毎日1時間ちょっとの旅。
そして、旅の当着地点は、父の会社。
そこには、たくさんの大人がいて、仕事をしていて、その職場の中で、父が、社長として、働いているのを見ることができました。
休日にどこかに遊びに行くこともありません。
夏休みにどこかに、遊びに行くこともありません。
もちろん、クラスの友達は、家族とどこかに行っている…
学校に行けば、その話を聞くことも…
でも、深沢家には、そんな、イベントもありません。
ただただ、休日は、習い事をしたり、塾に通ったり、家にいることなく、「何かをしている」という習慣が、ここで、始まったのです。
怖がりで、勉強もできない僕…
でも、気が付いたら、小学校6年間、無遅無欠席の皆勤賞!
唯一のとりえが、学校大好きっていう子供でした。
実は、中学受験をしています。
でも、もちろん、勉強大っきらいな僕は、「ただ、塾に行っていただけ」。
第一志望は、もちろん、不合格。(無謀な、絶対に受からない中学校を受験しています)
そして、そのまま、公立の中学校へ。
この中学校の生活も、ほとんど、勉強をしませんでした…
ただただ、していたのは、本を読むことと、委員会活動。
このころから、自然と、「誰かの役に立つこと」の充実感を持つようになってきます。
この通っていた、公立の中学校。
実は、ばけもの(笑)中学校で、頭のいい、友達ばかり!!
テストで、100点とっても、「5」の評価はとれません…
当時の八王子では、「中山中」と言えば、「あっ、あの、頭のいい中学校ね!」と言われる学校。市内の塾は、こぞって、争うように、「中山中生徒」の入学させるぐらい。
普通、学校で、一人か二人いればいい、早稲田、慶応、クラスのハイレベルな高校進学が、なんと、クラスの中で、4~5人はいる集団。それが、7クラスもあるのだから、もう、勉強できない僕には、お手上げ状態でした!
そんな、勉強できるのが当たり前な環境の中、僕ができるのは、唯一、委員会活動だけ…。
スポーツも人並み、勉強は、勝負にもならない…
でも、みんなに何かしら、必要とされた委員会活動は、楽しかったんです…
そんな、勉強できない僕の、人生最大のピンチ。
それは…もちろん、高校受験。
学校での評価は、あまりにも低い、内申点。だって、100点とっても、「5」がとれないんですから~。やる気も起きません(笑)
でも、担任の先生が、救ってくれました!
日々の、委員会活動が、救ってくれました!
勉強できない僕が、学校活動を評価され、高校に入学できたのです!
そして、また、気が付いたら、無遅刻無欠席。
小学校と中学校を通じて、9年間、大好きな、学校を通い切りました。
第一志望の学校に入学できました。
勉強重視でない、個性重視の高校に。
高校生活は、ただただ、ひたすらバイト。
市内にある、牛丼屋で、ひたすらバイト。
そこには、当たり前ですが、自分より先輩の人ばかりいるわけです。
16歳の僕には、いっぱいいっぱい、お兄さんとお姉さんができた状態。
一人暮らしをしながら、学費のために、働く大学生の先輩。
自分の趣味の活動資金を集めるために働く、フリーターの先輩。
バイトに牛丼屋を運営させることを可能にしている社員の大人たち。
色々な人が、1つの製品を売るために、24時間、365日、働いている環境に16歳のころから経験できたのは、僕の一生の財産となり、今のななくに歯科のモデルが、ここで、自然と培われていったのでした。
そして、学生生活。
実は、とっても、不純?な動機で、勉強することに…
ただただ、好きな人ができて、その人と、勉強したくて、そして、その人に、「すごーい」と思ってもらいたくて、その一心で、勉強したんです!
でも、結果的には、その人には、振られてしまうのですが…
そんななか、高校2年生の時、これから、どうしよう…とふと、思った時、父親の生き方が、かっこよく想い、「自営」で生きていくことに、だんだんと惹かれていました。
でも、かといって、そんなに、頭もいいわけでもなく、全国の高校生と比べれば、明らかに、勉強量が足りませんでした。
人のために、何かをすることの楽しさを知った小学生時代。
人のために、何かをすることで、生きていく方法を知った中学時代。
人のために、自分で、事業を興し、活き活きと仕事をする父親。
なんとなく、自分のしたい将来が、見えてきた時、高校に1つの学校の指定校推薦がありました。
高校2年生の夏、ただただ、好きな人に振り向いてもらいたいためだけに、勉強しました。
大学付属の高校だったので、そんなに、多くの友人が勉強を本気でしないため、わりとよい成績をとれたんです。
そして、人のために働く楽しさと、自分の力で生きていく父親にあこがれていた中、高校にあったのが、「歯科大学の指定校推薦」。
運命的に感じた僕は、高校2年生の夏に、担任に、「ここ、行きたいです!」といったのが、僕の歯医者人生の始まりなのです。
行きたい大学が、いや、なりたい職業が決まり、人生が、大きく変わりました。
バイトでの経験、親への想い…見るもの感じるも全てが、ガラッと、変わりました。
「もう、自分は、歯科医師になる!」
「歯科医師に必要なものは、何?」
という視点に、全てが変わったんです!
高校3年生の時、高校から、ありがたく、その推薦をいただき、無事、明海大学歯学部に入学することができることとなりました。
そして、気が付いたら…
高校3年間も、無遅刻無欠席で、小、中、高、と12年間、皆勤賞となりました。
毎日休みなく働く父親。
それと同じように、学校に通う僕。
そして、両親が、12年間、無遅刻無欠席を可能にする環境を、作ってくれていたことに、高校卒業時に、やっと分かった時、自分の中で、ちいさな、「仕事観」が、芽生え始めました。
指定校推薦で、明海大学歯学部に入学できました。
もちろん、同級生のほとんどが、受験をしてきた仲間たち。
びっくりするぐらい、勉強できる人も。
それに比べて…運よく、受験せずに、歯学部に入学できた僕。
両親には、顔を合わせるたびに、「絶対に、留年だけはするんじゃないぞ!お前は、勉強して、受験して入ったんじゃないんだから!勘違いするなよ!」と言われることに…
そして、もうひとつ、釘を刺されたこと。
それは…
「歯学部の同級生との金銭感覚に気をつけなさいよ!」
とのアドバイス。
両親の予言は、見事にあたり、恐ろしいほどの金銭感覚の違いのなかで、6年間過ごすこととなるのです。
そして、また、歯科医師になる動機も、人それぞれで、自分と同じ動機の人は、ほとんどおらず、両親が歯科医師であるか、または、医学部が受からなかったから歯学部にしかたがないから入学したという人も…
実は、僕、若気の至りで…
ここで、自ら、多くの友達を敵に回すこととなるのです…
「来年、医学部にもう一回受験しようと思うんだ…」
「本当は、歯医者なんて、なりたくないんだよね…」
「とりあえず、家が、歯医者だから~」
歯医者になりたくて、歯学部に入学した僕には、「衝撃的」な発言ばかりでした。
高校で、1つの指定校推薦の枠を争って、手に入れた、歯学部の入学。
もちろん、その争いは、「歯医者になりたい!」と思う同級生との過酷な戦い。
僕が、その推薦をとれたということは、多くの仲間が、その道を諦めたという裏側の事実が存在しています。
でも、学校に入学して、びっくり!
歯医者になりたいと思っていない人間が、歯学部にこんなに入学しているのか!!と…
そしてさらに驚いたことが…
「深沢君、なんで、バイトしているの?親から仕送りないの?」
「なんか、そんなに、バイトして、かわいそうだね…」
しまいには、
「ねぇ、親のすね、もっとかじったほうがいいよ!そのほうが、親も喜ぶんだぜ!」
とのご発言。
そして、多くの友人が、働きもせず、外国車や、国産高級車を親から与えられ通学するように…
衝撃的な、学生生活の始まりでした。
僕は、幼く、若く、その状況に対して、「嫌悪感」を持ち、そして、「戦ってしまった」のです。
塾の講師をしながら、バイト生活を開始。
悪気ない友達は、「遊びに行こうよ!」と誘ってくれます。
しかし、その遊びに参加すれば、もちろん、とんでもない出費になることは、明白。
その誘いを、「バイトに行くから」と軽く断っていたのが、しだいには、断る理由も、明確に、嫌悪感を含ませるようになり、「君たちとは違うから!」と断るように…
当たり前ですが、相手も、怒りますよね、むかつきますよね(笑)
いつしか、友達との間には、深~い溝が形成され、俗に言う 「うざい」存在に、僕は、なったのです。
そんななか、自分の正しさに固執する僕は、さらに、正しさを強調し始めます。
もう、そうなれば、一部の方との、激しい衝突も。
でも、一方、その激しい衝突の中、「自分」というものが、確立され、しだいに、「宗(僕のことです)の言っていること、実は、良くわかるよ…」と応援してくれる友人たちも現れ始め、先輩、そして、後輩たちも、その考えに同調する人たちが少しなのですが、増えてもいったのです。
歯学部は6年間という長い学生生活があります。
その中で、アルバイトと部活に励む毎日でした。
アルバイトは、主に、塾の講師を。
最終的には、塾の教室を任されるまでに、働いていました。
多くの友人が、学業とバイトとの掛け持ちに悩む中、国家試験を控えて6年生になっても、バイトを辞めることをせず、6年間やり続けました。
塾のバイトといっても、責任は重く、受け持った生徒にとって大切な人生がかかっています。自分の学業が大変だから、「辞める」という選択肢は、取れませんでした。
6年生の時は、受験生と一緒に、「先生も受験生だ!」といって、勉強をした思い出があります。
あと、同時に行っていたのが、部活動。
この部活動が、今後の歯科医師人生での、大きな財産となるのです。
この部活動で得られたのは、何よりも、「人の縁」
先ほど、ご紹介した、とがったナイフ時代と平行して、部活動をしているのですが、まぁ、先輩、同期と喧嘩ばかりしていました。
理不尽な体育会系文化との戦い。白い巨塔のような、理不尽な先輩後輩関係との戦い。とんでもない金銭感覚の部活動での活動費…
学年が低い時は、とにかく、怒られ、嫌われ、最後には、いじめられ…(笑)
でも、しだいに後輩が、入って来るごとに、多くの後輩が、ついてくるようになりました。
そして、高学年になった時、部活は、多くの後輩で占められ、この後輩たちが、後のななくに歯科を支える勤務医たちと、なっていったのです。
この6年間の大学時代に学んだことは…
それは、勇気をもって、「間違えているものは間違えている!」と言い、言った言葉には、責任も持ち、行動で、結果を出すこと。
そして、学業や、部活、バイトなど、同時に何かを行い、どれかを捨てることなく、続ける能力を身につけられたと思っています。
歯科医師国家試験を合格後、歯科医師となって、目指したこと。
それは、何の専門を専攻するのか!ということでもあります。
医師と違って、歯科医師は、基本、「全部できる」のが、常識です。
なので、多くの歯科医師が、大学に残ることなく、開業医で、勤務医としての人生を開始します。
でも、僕は、「歯周病専門医」を目指し、大学院へと進学しました。
明海大学歯学部大学院の歯周病学講座には、日本一の歯周病の手術がうまいとされる、申助教授がいらっしゃいました。
通常の大学院というのは、研究をするために、活動するのがほとんどの中、この講座は、「臨床」を重視する講座でした。
つまり、顕微鏡の中での学問ではなく、患者さんと直接触れ合う、臨床での学問。
将来、開業を視野に入れている僕にとっては、基礎の研究も大切ですが、臨床に役に立つ技術が必要だったため、そして、なによりも、世の中に、 「歯周病をなおしたい!」という患者さんの声が増しているので、この講座に在籍しました。
大学院の生活は4年間。
当時、歯周病で、失われた骨を、治す方法として、画期的な方法が、始まりだしていました。「再生療法」と呼ばれるものです。
その再生療法で、メインとなり始めていたのが、実は、豚の細胞から作りだす薬を、溶けた骨を再生するために使う方法でした。
しかし、ちょうど、自分が大学院へ進学した時、世の中に、大きな事件が起こったのです。
それは、「狂牛病」事件。
国内では、多くの動物由来の製品が、一時、使用停止になり、それは、医療の現場でも、多くのものが、使用停止となったのです。
もちろん、この再生療法でもつかわれている薬も、例外ではありませんでした。
国内では、「動物由来」のものではなく、「自分の体の細胞由来」へのシフトチェンジが、必要となりました。
そこで、僕に与えられた使命は、自分の細胞、とくに、血小板を使った再生療法の技術を作り上げること。
まだ、世の中には、全て自分の血液のみで、その薬を作る実験は、存在せず、いちから、作りだすことになりました。
毎日毎日、自分の血液を、同僚に採血してもらいながら、その薬を作る毎日。
そして、さらに、その薬を用いて、効果があるかを確かめるために、動物実験を行う毎日。
動物と言っても、ネズミとか、ウサギでなく、びっくりすることに、「ビーグル犬」。
いつの間にか、歯科医師ではなく、獣医になっている僕がいました(笑)
そして、なんとか、試行錯誤の上、この薬を用いた再生療法の手技を完成させることができ、無事、歯学博士の資格を取ることができました。
大学院時代で学んだことは、もちろん、この実験で学んだ、再生療法ではあるのですが、もっともっと、学べたことは、「論理的に物事を考え、実行していくこと」であります。
歯学部卒業には、「卒業論文」というものがありません。試験のみです。
でも、大学院には、「博士論文」を書かないと、卒業はできません。
ただただ、実験するのではなく、誰かに何かを、文章で説明するという難しさ。
また、本当に頭のいい人!という人に出会えた4年間でありました。
世の中には、「頭のいい人」というのが、実際にいるんですね(笑)
ただただ、勉強ができるというレベルではなく、思考能力、実行能力、語学力、説得力、読書力、推理力、計画力…とにかく、びっくりするほど優れている人と、同じ時間を過ごせ、自分の世界観を大きく変えてくださりました。
今、ななくに歯科の院長として、医療法人CSDSの理事長として、持たなければならない能力と、自分になりない能力が何であるのかを、この4年間で、みっちり、鍛えられたのでした。
歯周病科に在籍した5年間で、歯周病はもちろんのこと、インプラントの勉強も同時に行い、その学んだ技術を活かして、開業医の歯科医院で、勤務することになりました。
もちろん、僕の目標は、八王子で開業すること。
でも、まだ、このころ、「開業する理由」が、僕のなかで、明確ではありませんでした。
世の中には、もう、コンビニエンスストアの3倍ほどの歯科医院が存在し、住民の方から、「また、歯医者が、開業した…」と、半ば、呆れられる状態。
そして、そんなにも歯科医院があるわけですから、開業しても、ただただ、多額の借金を抱えて、苦労している先輩ばかりで、開業の目的、理由が、明確にならなかったのです。
とにかく、大学病院時代の技術を活かせる勤務先を探し、勤務を始めました。
そこで、まっていたもの…
それは、歯科医院が抱える、「闇」でありました。
患者さんが抱える歯科医院への不満。
「説明がない」という声がとにかく多い。
その結果から生まれるさらなる不満。
「時間がかかる」「ちっとも治らない」…
しかし、それを、現場の歯科医師たちが、知らないのではなく、「できない」との僕への説明。
それは、「歯科医療システム」の問題であり、もっと言えば、「保健医療システムそのもの」の問題でもあり、現場の歯科医師が、好きこのんで、「説明をしていない」のではない現状も知ったのでした。
そして、歯科医院につとめるスタッフの問題もはじめてしりました。
多くのスタッフが、やる気を持たず、ただ、何か、仕事をしなくてはならない状況だから、歯科医院に勤めているだけ…と仕事をする理由を話す現状。
良い職場があったら、すぐにでも辞めたい…と話す人ばかり。
しまいには、ほとんどの医院が、院長とスタッフは、決して良い関係ではなく、嫌いであると公言するスタッフもいるのでした。
もちろん、そんな状態ですから、多くの院長たちも、スタッフへの不平不満…
開業医へ勤務医として、勤務した時、治療内容とか、治療技術の以前の問題である、医院運営という大きな問題とぶち当たったのでした。
多くの院長先生たちは、素晴らしい先生ばかり。
しかし、残念ながら、患者さんは、その素晴らしさをほとんど知らない状況。
そして、その院長のもとで働くスタッフさえも、その素晴らしさを知らない…
なるほど、これは、歯科医院が、コンビニの3倍以上の数、生まれるはずだ!と思ったのでした。
なぜならば、「患者さんに本当に望まれる歯科医院が存在しない」から、次々と、新しい歯科医院が誕生し、新しい医院へ、患者さんが、期待をして、今の歯科医院から離れ、新しい歯科医院へ通うことになる。
でも、やっぱり、新しい歯科医院は、ただ、新しいだけで、「患者さんの本当に望むこと」を解決していない…
だから、また、新しい歯科医院ができて、また、患者さんが移動する…
つまり、患者さんが、1つの医院を気に入り、そこから、離れない!と思えば、新しい歯科医院が必要でないのである。
でも、そのような、ずっと、そこに通いたい!と思うような歯科医院は存在せず、ただただ、先生が若く、建物が新しいだけの、開業ラッシュ…
世の中に、新しいものが誕生するときは、「既存の不満を解消し、望まれるものでなくてはならない」とここで、やっと、「開業する意義」「開業する目的」を見出したのでした。
それは… 歯科医師が、必死に、歯を治し、そして、また、その治療結果を自慢し合っている文化… 一見、何かおかしいですか?と質問したくなりますよね。(笑)
歯医者が、歯を治して、なぜわるい?
歯医者が、自分の治療技術を自慢してなぜわるい?
でも、実は、これでは、世の中から、虫歯はなくなりません。
だって、国民にとって、「虫歯ができても、治せばいいんだ!」という感覚だから。
それを、一番、あおっているのは、他ならぬ、歯科医師なのかもしれません。
歯科医師が、国民が、虫歯になること前提で、歯周病になること前提で、自分たちの仕事を設定し、その虫歯、歯周病をいかに治すかを、待ちかまえているのですから…(笑) でも、実は、歯科医師のほとんどが、もう、入れ歯をいれることは、ないでしょう…
歯医者は、虫歯にもならず、歯周病にもならない…
でも、国民は、まだ、虫歯になり、歯周病になり、歯科医院へ通う現実。
同じ人間なのに、なぜ、こうもちがうのでしょうか?
つまり、歯科医師だけが、虫歯に、歯周病にならない方法を知っている!
でも、それは、教えていない…
ただただ、目の前の虫歯を治し、その治療方法を競い合っている…
でも、自分は、予防をして、虫歯になること、歯周病になること、そして、入れ歯になることはない…
なにか、おかしくないですか?
歯科医師が本当にしなければならないことって、治すことではなく、自分が虫歯にならない、歯周病にならない方法を知っているのだから、その方法を患者さんに教え、自分たちのように、「虫歯に、歯周病にならない」ようにすることではないでしょうか!
この世の中に、わざわざ開業しなければならない理由があるから、開業しなくてはならないはず…
開業する前に、一人の歯科医師として、一人の経営者として、多くの本を読ませていただいたり、世の中のために働いている人の話を聞きに行ったり、多くの準備をしました。
共通していることは、「企業には、開業理念がなければならない」ということ。
自分のために開業をしている多くの医院がある中、ななくに歯科が、開業理念として、掲げたことは、
「ななくに歯科に勤めるすべてのスタッフは、歯科医療を通じて、社会貢献する」
ということ。
具体的にいえば、「歯科医師・院長主役の歯科医院システム」から、「患者・従業員主役の歯科医院システム」で、開業することとしました。
このような想いををベースに、歯科医院の設計を僕、自ら行い、ななくに歯科を誕生させました。
血液型 | B型 |
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星座 | さそり座 |
趣味 | スノーボード スポーツ情報チェック 洗濯 |
好きな食べ物 | 焼き肉 焼き鳥 とんかつ |
専門 | 一般歯科・入れ歯 |
血液型 | O型 |
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星座 | やぎ座 |
趣味 | ダイビング 旅行 吉祥寺散歩 |
好きな食べ物 | マグロ 妻の手料理 |
血液型 | B型 |
---|---|
星座 | おうし座 |
趣味 | 掃除 パズル |
好きな食べ物 | とろろ |
血液型 | O型 |
---|---|
星座 | いて座 |
趣味 | 週に一回マックへ行く事 バトミントン ブラッシング指導 |
好きな食べ物 | マンゴープリン |
専門 | 歯周病 |
血液型 | ヒミツ |
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星座 | おとめ座 |
趣味 | スポーツ観戦 映画鑑賞 読書 |
好きな食べ物 | 甘いもの |
血液型 | B型 |
---|---|
星座 | みずがめ座 |
趣味 | 部屋の掃除 |
好きな食べ物 | 肉 |
血液型 | A型 |
---|---|
星座 | おひつじ座 |
趣味 | 食事 |
好きな食べ物 | 食べ物全般 |
血液型 | A型 |
---|---|
星座 | いて座 |
血液型 | A型 |
---|---|
星座 | ふたご座 |
趣味 | テコンドー バトミントン 読書 |
好きな食べ物 | 寿司 焼肉 ラーメン |
血液型 | O型 |
---|---|
星座 | 魚座 |
趣味 | 映画鑑賞 音楽鑑賞 ランニング |
好きな食べ物 | くだもの(みかん) とろろ 白米 |
専門 | 一般歯科 |
血液型 | B型 |
---|---|
星座 | おひつじ座 |
趣味 | サッカー観戦 |
好きな食べ物 | 干し柿 |
専門 | 歯周病学 |
血液型 | A型 |
---|---|
星座 | 乙女座 |
趣味 | キャンプ 料理 |
血液型 | A型 |
---|---|
星座 | おひつじ座 |
趣味 | アイスクリームを食べること ストレッチ |